アシュタンガ・ヨーガ(八支則)

ヨーガは単なるエクササイズだと思っていませんか?実は、ヨーガには心と体のつながりを深め、より充実した人生を送るための哲学があります。それが、アシュタンガ・ヨーガの八支則です。この記事では、八支則の各ステップをわかりやすく解説し、あなたのヨガの実践と日常生活にどのように役立つかをご紹介します。
ヨーガは、心の葛藤を取り除き、自分(内側)と世界(外側)との調和・バランスを目指すもの。体を動かし体調を整えることはもちろん、自己の本質を知り、自己実現を目指す“生き方”のことなのです。今から約2000年前(2-4世紀頃)にパタンジャリによって編纂されたとされる「ヨーガ・スートラ」に、この“調和する生き方”の教えが「八支則」としてまとめられています。つまり、日常生活の心構えである8階段の教えが体系化されているのです。
アシュタンガ・ヨーガ(8階梯のヨーガ)とは
それでは,総合的なラージャ・ヨーガ(「王のヨーガ」の意)の代表的な教典,パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」に添ってヨーガの構造や行法を見ていきましょう。
この「ヨーガ・スートラ」はインド哲学の1派であるヨーガ学派の根本経典。成立は2-4世紀頃。パタンジャリという聖人(複数の人であった可能性もありますが)によって編纂されたとされています。「スートラ」は「糸」の意味であり,糸のようにパタンジャリが説いた短い言葉を連ねたものです。この聖典では,「ヨーガとは心の働きを抑制することである」の定義から始まり,「サマーディ(三昧)」に至るまでの具体的方法としての「アシュタンガ・ヨーガ(8階梯のヨーガ)」と,その背景にある思想が述べられています。
ヨーガ・スートラは次の4章195節から構成されています。
- 第1章(51節)- 概要・定義など
- 第2章(55節)- 禁戒,勧戒,座法,調気法,制感など
- 第3章(55節)- 凝念,静慮,三昧など
- 第4章(34節)- 補足など
サンスクリット語のアシュタンガを直訳すれば,アシュトは「八」,アンガは「枝」で,ここでは「段階」という意味を示します。それぞれの枝は,自己実現に至るために踏むべき段階で,古い教典に基づく伝統によって,この八支則は厳密に順を追って学ぶものとされ,この道を志す者はそれぞれの段階に応じて成長を遂げます。この総合的なヨーガの行法は,その目的に到達するために,日常の生活においての行動規範である禁戒や勧戒を山の裾野にして,段階的に体を整え,呼吸を整えながら,順次に山の高みに上っていくプロセスです。そして,この実践の過程において,五つの鞘(人間五臓説)からなる総合的な私達の存在の各層に働きかけ,人間が本来備えている肉体と精神,そして霊性の資質や能力が高められバランスあるものとなり,心身の健康度が飛躍的に高まり,その人自身の生き方(自己実現)に多大な実りをもたらします。
パタンジャリ大師はその教典の中で,精神と肉体,そして魂を浄化し,くびきをかける(ここでは「一体化する」の意)ためには,次に記す八支則をひとつ残らず順に行なう必要があるとしています。
- ヤーマ(禁戒) ― 社会次元の自己制御
- ニヤーマ(勧戒) ― 社会次元の自己制御
- アーサナ(坐法) ― 肉体次元の自己制御【食物鞘】
- プラーナーヤーマ(調息) ― 呼吸次元の自己制御【生気鞘】
- プラティヤーハーラ(制感)― 感覚次元の自己制御【意思鞘】
- ダーラナ(凝念) ― 知性次元の自己制御【意思鞘】
- ディヤーナ(静慮) ― 知性次元の自己制御【理智鞘】
- サマーディ(三昧) ― 歓喜次元の自己制御【歓喜鞘】
以下に八支則それぞれの詳細を記します。
1.ヤーマ(禁戒)― 社会次元の自己制御
アヒンサー(非暴力)
肉体や言葉および,思考での暴力で他の生命を傷つけたり,害したりすることを禁止するという行動規範です。これは単に他人を傷つけない,暴力を振るわない,ということだけではなく,一切の悪意を排除し愛を持って実行するという意味です。また,自分自身においても,心身に害を及ぼすような言動は避け,自愛のもと意識を払いつつ向き合っていくことが大切です。他人に対する次の言動および,思考は全てアヒンサーの規律を破ったことになります。
- 軽蔑すること
- 偏見を抱くこと
- 陰口を叩くこと
- 憎しみや怒りを心に抱くこと
- 苦痛や悩みを取り除けないこと
- 残酷な行動を認めること
- 侮辱,批判,非難をすること
- 報復すること
これら全ての暴力は知恵を阻害し痛みと苦しみによって,たらさず物事を分裂させてしまいます。たった一言の乱暴な言葉が,何年も愛し積み重ねてきた信頼関係を脆くも崩壊させてしまうほどの原因になります。他者への暴力は主に精神的不安が要因で,心の中で暴力的思考のバイブレーションが生じると,精神が歪み,さらに残酷な衝動に駆り立てられてしまいます。これらを克服する為には,怒りに対する執着を捨て,全ての物事に対して“許し”を与えることが必要です。
サティヤ(正直)
自分や他人に対して,嘘をつかずに誠実であるためには,心を穏やかで清浄にして,真実に基づいて語り考え行動することです但し,真実を告げることで何らかの危害を与え,痛みの原因を生じさせることは,それはもはや善行ではありません。したがって正直ではっきりしているとはいえ,アヒンサー(非暴力)の規範に沿って,他人を傷つけないようにすることは大切です。さらに自分自身の日常生活においては,自分の今いる能力(位置)を受け入れ,勝手な期待や背伸びをせずに正直でなければなりません。
アステヤ(不盗)
他人に対して,詐欺や盗みを働いたり,他者の功績や地位を奪う(利用する)行為を行ってはなりません。また,羨望や嫉妬の思いを抱いたりしてはならず,アステヤには欲望や浪費の性癖を抑制することも含まれます。いかなる形であれ盗みというのは欲望の結果です。つまり,あらゆる関係において誠実であることを心掛け,自分の努力による成果だけを得るように努めることが重要です。
ブラフマチャリヤ(禁欲)
人間が持つあらゆる欲望(エネルギー)を節制(コントロール)することです。すなわち、物欲・食欲・性欲・名誉欲などのあらゆる強い欲望と快楽にふけってエネルギーを無駄にしないことです。そして,そのエネルギーを瞑想・マントラの読誦・祈り・聖典の研究・自己の観想によって,高尚な想念で心身を涵養させます。
アパリグラハ(不貪)
色々な物を必要以上に貪らない,執着しないことです。執着心により物を獲得し,保持しようとすると所有欲に心が翻弄され,失った時に自分自身の苦悩となるからです。また,1年の間には,天候のよい日も悪い日もありそれを比べてはいけません。物事は比べると必ずそこに悩みが生まれ際限なく欲に振り廻されることになります。アパリグラハには,贅沢,収賄,ごまかしにつながる贈り物は受け取らないという意味も含まれ,アパリグラハを実践すると,アヒンサー(非暴力),サティヤ(正直),アステヤ(不盗),この3つを促すことができます。
2.ニヤーマ(勧戒)― 社会次元の自己制御
第一段階のヤーマの実践は,精神を浄化し,周りの人や取り巻く環境との正しい関係を確立するものです。一方のニヤーマは,自分自身に対する心得です。また,習慣を規制し,意志力を強め,心身の聖化・浄化により,瞑想ができる状態へと導くものです。ニヤーマは,次の5つの道徳律に分類されています。
シャウチャ(清浄)
身体と精神の両面を清潔に保つことです。身体外部では,身の回りを綺麗に保ち,入浴や洗浄及び,身だしなみを整えることです。身体内部では,ヨーガのエクササイズや身体浄化法によって,体全体の調子を整え,生活の乱れによって生じた毒素と老廃物を完全に取り除きます。また,不純物が含まれていない食事をとることなどを心掛け拝む心で食さなければなりません。さらに精神面の浄化においては,ネガティブな感情と思考及び,憎悪や欲望,慢心などを排除し,不純な心を浄化することです。心が澄んでいる時には精神を統一しやすいし,精神集中によって,意識と感覚をコントロールすることができます。
サントシャ(知足)
自分の努力によって得た物や結果など,全ての状況を有りのままに受け入れて感謝することです。この感謝の精神が心を満足させ無上の喜びをもたらしてくれます。また,自分の人生の成功を,所有物や地位,知識で評価するのではなく,欲望や渇望がないことを基準にして判断することです。つまり,欲望や欲求不満のプレッシャーから解放されている時にだけ,心を浄化することができ,幸福を感じることができます。そして,他人からどう思われようとも,翻弄されることがない健全な精神が宿します。
タパス(苦行)
人生の最終目的に到達するために,いかなる状況の下でも,心を強く持ち燃え尽きるほどの努力をすることです。それは聖化・自己規律・厳しさも含んでおり,建設的な努力の全てがタパスの実践です。タパスとは,神と結びつくために,意識的に最高の努力をし,この最終目的に到達することの妨げとなる全ての欲望と感情を溶かし,燃え尽きさせてしまうことです。タパスには,肉体,言葉,精神の3種類があります。肉体に対するタパスは,身体に負荷をかけ苦痛に耐えることで強化されます。断食も肉体的な困難に抵抗するもので,余分な脂肪と共に身体に蓄積された毒素を浄化させます。言葉に対するタパスは,言葉で他人を傷つけないようにし,神の偉大さを説き,結果にこだわらず真実を語り,他人の悪口を言わないことです。精神の対するタパスは,喜怒哀楽の波に対し,心が平静で安定しており,常に自己コントロールのできる精神的態度を養い育てることです。瞑想は最も崇高なタパスで,健康,集中,忍耐力,強い意志力をもたらし,そこから得られるものは計り知れません。このタパスによって,身体と心の働きと人格を高め,力を生み出し勇気と知恵と高潔さと純真さを獲得することができます。
スワディヤーヤ(聖典読誦)
神聖な文献を読む時に,著者の知識と知恵に自分自身を同調させ,熟考することで生活様式にも明らかな進化が自然に表れてきます。また,聖人や徳の高い人が書いたものを熟読し日々の生活に取り入れることで,その神聖な影響力が持続して,心にポジティブな観念を与えてくれます。その為に解説を説く聖典などを日々熟考し,自分が何であるか,どうあるべきかを探求することが大切です。このスワディヤーヤにはマントラ(真言)の読誦も含まれ,これは心を向上させ,不安を晴らし,ネガティブな思考を取り除きます。そして新しい崇高な印象を生み,集中力と信仰心を強め,心を清浄なもので満たします。
イーシュワラプラニダーナ(信仰)
自分の行動と意志を全ての力の源である神に捧げ崇拝することが,イーシュワラプラニダーナです。このような確固たる信念により,どんな状況下においても「守ってくださる」という安心感が生まれ,あらゆる困難を乗り越える原動力が養われます。また,どんな結果にも囚われることがなく全ての現実を受け入れることで,自ずと精神が穏やかで強靭なものとなります。そして,全ての行為を内なる本質に捧げる時,人生は守られ導かれていると感じます。このように,神を常に意識することは,解脱,悟りの境地への近道となり,やがて個人の魂は最高の成長を遂げることができます。
3.アーサナ(坐法)― 肉体次元の自己制御【食物鞘】
アーサナのポーズは全身の全ての筋肉に,また神経,臓器,腺,エネルギーの経路に,働きかけ伸ばし鍛えるために,特定の順序で注意深く配列されています。したがってアーサナは,単なる体操ではなく,ポーズとそれをつなぐ動きを呼吸と一致させたものです。その中で、自分の身体と対話し内側に生じる感覚を観察することが目的です。トリスターナ(ヴィンヤーサの結合),バンダ(体を守る錠,封),ドリスティ(視点)を通じ,内面を旅し,体の奥深くに働きかけ,ナーディ(微細体のエネルギーの流れ)を開いて浄化し,プラーナという名の内なる生命力に近づき利用することができます。このプラーナのエネルギーに近づいてはじめて,ヨーガ行者は肉体を超越できます。
古典ヨーガについて書かれた,ヨーガ学派の根本経典である「ヨーガ・スートラ」の第
2章46-48節に,アーサナについての記述がありますが,それはあくまでも,「より高いレベルの瞑想に至るための準備段階であり,快適で安定した座り方を推奨している」といった記述に過ぎません。しかし,一般的には体位(ポーズ)全般をアーサナと捉え,肉体と意識(知性,感性)との調和状態を作り,心の平静を保つ目的で実施されます。つまり,型を舞うアーサナと呼吸にのみ意識を集中し専心することです。また,決まった順序でアーサナのポーズをとることで,伝統的な座法であるパドマ・アーサナ(蓮華座)をとるのに必要なスタミナと力,柔軟性,安定した精神力が身につき,アシュタンガ・ヨーガでの4番目と7番目の枝(プラーナーヤーマとディヤーナ)へ移行する準備が整うとされています。
4.プラーナーヤーマ(調息)― 呼吸次元の自己制御【生気鞘】
この語彙自体は、サンスクリットで「気息、呼吸」を意味する「プラーナ」と、「制御、制止、延長」を意味する「アーヤーマ」からなる合成語です。ただし、ここで言う「プラーナ」とは、単なる「息」ではなく、身体内外に存在する「生命エネルギー」のことであり、「プラーナーヤーマ」も単なる「呼吸法」というよりも、身体内外の生命エネルギーの調節(「調気法」)を意味しています。殆どの人間にとっては,呼吸は無意識の反射的行動です。しかし,ヨーガの行者は,精神集中における呼吸の役割を把握しています。呼吸をコントロールするプラーナーヤーマは,精神をコントロールする方法として発達してきました。
アーサナの実践を通し,ヨーガを学ぶ者は徐々に呼吸の力学を学んでゆき,吸息と呼息とを均等にし,呼吸を動きに合わせるのではく,動きを呼吸に合わせるにはどうするか,ということがポイントです。そのためには常に呼吸の流れに意識を集中していなければなりません。この集中こそが,プラーナーヤーマ,プラティヤーハーラ,ダーラナを行じる上での重要な要素となります。
プラーナーヤーマは,息を吸い,吐き,保持する(息を止める)働きを,高度な形でコントロールするものです。呼吸のコントロールには,最大の注意を払わねばなりません。プラーナーヤーマは大きな威力を持ち,全身を巡るエネルギーの流れを左右するもので,正しく効果的に働くように,これらのエネルギーの経路を浄化し,アーサナによって体を鍛えることが必要とされます。プラーナーヤーマを単独で行う前に,アーサナを行なう際の呼吸もまた,強く清浄なものになっていることが必要です。ゆえにプラーナーヤーマを行じるには,それ以前に,アーサナにおいて高いレベルに到達している必要があります。
5.プラティヤーハーラ(制感)― 感覚次元の自己制御【意思鞘】
プラティは「逆らって」「後ろに」,ハーラは「つかむ」という意味であり,そこから,「プラティヤーハーラ」は「抑える」という意味になります。アーサナやプラーナーヤーマを行なっている間,心は内面への集中レベルは浅く,ほかのところへ意識が向く傾向にあります。例えば,心配事や夢中になっている物事,または身体に対する不調に意識が奪われてしまうことがあり,私たちがもつ五感(視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚)に受けた感覚は,心に大きな影響を与えるものです。この感覚が心を動かすということは,感覚が感情を動かすということであり,つまり五感は五情(喜怒哀楽恐)と密接にリンクしていることになります。
ヨーガとは心の働きを抑制することです。その抑制すべき心を乱してしまう感覚を完全に自己の管理下に置くことが,プラティヤーハーラの目的であり,そのためには,「心を対象から引き離すこと」が求められます。ひいては見たもの,聞いたもの,匂いをかいだもの,味わったもの,触ったもの。その全てから,心を引き離すことです。その感覚は物理的な影響であるため,それ自体は制御することはできません。しかし,その先に生まれる心の動きに対し,野放しにすることなく,コントロール(管理・制御)しなければなりません。
一見,自分の感情をコントロールすることは,難しそうに思えます。しかし,自分の感情に振り回される虚しさ,苦しさ,無意味さに比べれば,心を制御し常に心が平和であるための努力をする方が,人生を生きるにあたって遥かに意味があり,大変であっても,その方が心はよっぽど楽です。このプラティヤーハーラを手に入れる(自分の心の手綱を,自分で握る)ことで,誰にも振り回されない快適な人生を送ることができ,さらなる心の自由度および,意識化の拡大を図ることに繋がります。
さらに,プラティヤーハーラとは心に安定をもたらすものでもあり,絶えず心を呼吸のリズムに引き戻す働きであるその結果,精神が鎮まりコントロールされ,さらに高度の集中に至ると,自分の感覚を思いのままにコントロールできるようになります。また意識が完全に目覚めた状態では,心が揺れ動くこともなく,浮かんだ思いに囚われるようなこともありません。つまり,肉体的な感覚を常に十分認識しつつコントロールすることで,思いを閉め出すというより,心を過ぎゆく思いに執着せず感覚を制する(制感)ことです。
6.ダーラナ(凝念)― 知性次元の自己制御【意思鞘】
ダールは「止める」「維持する」の意味です。プラティヤーハーラにおいて高いレベルに達すると,あてどない思いや音,痛みなどの感覚に心悩まされなくなります。ここでは主にロウソクの炎や、特定の図形(オーム聖音シンボルマーク)、または自分の眉間の一点に心を集中する方法などを用います。この段階になると,深いレベルの集中が得られ,アーサナを行なう際にダーラナが達成されると,心の焦点が一点に定まり,吐く息と吸う息,そして視点すなわちドリスティのみに純粋に集中した状態になります。
7.ディヤーナ(静慮)― 知性次元の自己制御【理智鞘】
ディヤーナは,「瞑想する」「静観する」という意味のディヤイからきています。凝念によって一点に集中していた心が、その対象と同化し始め、それを中心に日常の意識を超えてある種の「洞察」や「閃き」が起こり、広く深く、自由に展開されていく状態のことです。その直感的映像や思考は、やがて自我の意識領域を超えて、新たなる「生命の智慧」をもたらす領域へと導いていきます。つまり、
5番目と6番目の枝(プラティヤーハーラとダーラナ)の組み合わせによって,まったく無想の,深い瞑想の状態を得ることができます。アーサナにおいては,連続したポーズを行なう間,プラーナのエネルギーが途切れなく流れるようなり,そして,最初から最後まで,呼吸の糸が乱れません。個々のポーズが優美に連なってアーサナという花冠を編み上げ,さながら「動く瞑想」となります。
8.サマーディ(三昧)― 歓喜次元の自己制御【歓喜鞘】
サマは「同じ」,アディは「最も高い」を意味します。サマーディに至ることは,アシュタンガの八支則全ての頂点に達したことです。目標であり,ヨーガという木の果実でもあります。この地点を目指して木のてっぺんまで登りつめた人は,「すべて」を見渡すことができます。
この果実は,次の世代を生む種を宿すものであると同時に,木全体が唯一,甘美な味をもち,私たちが口にし,消化することができる部分です。この果実は私たちの一部となり,同時に私たちはこの果実の一部となります。つまり,サマーディに達することは,神と合一するということです。
アシュタンガにおける最初の4本の枝は外的な修練ですが,これを毎日続けていくことによって心身の状態が整い,後の4本の内的な枝が自ら芽吹き,葉を広げてゆきます。アシュタンガ・ヨーガは歴史の試練に耐えた確かにシステムであり,アーサナの実践にウジャーイー・プラーナーヤーマとドリスティを組み込み,このシステマティックな方法で真剣に取り組めば,ヨーガという木の8本の枝が全て自在に動きだします。
ヨーガという木の果実を味わうことを望むなら,アシュタンガ・ヨーガにおいて八支則のどれひとつもないがしろにしてはいけません。ヨーギ・シュリ・K・バッタビ・ジョイスの言葉によると「修練を重ねれば,全てが向こうからやってくる」。これは,修練さえすれば悟りが開けるという意味ではなく,種をまいたら,毎日欠かさず世話をし,育み,水をやりなさい,つまり,日々の修練を忘れてはならないということです。真剣に取り組んだ結果として,洞察力が内から芽生えヨーガという木の理解も育ち,この八支則は,大地を耕す道具となります。但し,正しいやり方に従わなければ,木が生長し,成熟を迎えることはありません。