人を支える哲学

人間の構造論(人間五蔵説)

jun@wp

日々の選択に迷い、将来に不安を感じることはありませんか?情報が溢れる現代社会では、何が本当に正しいのか、自分の軸を見失いがちです。そんなあなたに、時代や環境に左右されない、普遍的な『人間の生き方の原理原則』をご紹介します。このブログでは、古代インド発祥の人間五蔵説の観点から先人たちの知恵や哲学を紐解きながら、あなたが自分らしい生き方を見つけるための道標となる情報をお届けします。

「ヨーガ」の概要

ヨーガとは、古代インド発祥の修行法。アーサナ(姿勢)や、プラーナーヤーマ(呼吸法)のみを重視する健康ヨーガ的なものや、瞑想による精神統一を重視するものなど様々である。狭義には、六派哲学のヨーガ学派から始まった、解脱、すなわち個体魂の神への結合を実現するための実践体系を指す。

2世紀‐4世紀ごろ、サーンキヤ学派の形而上学を理論的な基礎として、その実践方法がパタンジャリによって『ヨーガ・スートラ』としてまとめられ、解脱への実践方法として体系づけられた。内容としては主に観想法(瞑想)によるヨーガ、静的なヨーガであり、それゆえ「ラージャ・ヨーガ」(=王・ヨーガ)と呼ばれている。その方法がアシュターンガ・ヨーガ(八階梯のヨーガ)と言われる8つの段階のヨーガである。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(座法)、プラーナーヤーマ(調気法、呼吸法を伴ったプラーナ調御)、プラティヤーハーラ(制感、感覚制御)、ダーラナー(精神集中)、ディヤーナ(瞑想、静慮)、サマーディ(三昧)である。また同書を根本教典として「ヨーガ学派」が成立した。同派は、ダルシャナ(インド哲学)のうちシャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに位置づけられている。 『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次のように定義している。

  • ヨーガとは心素の働きを止滅することである。(第1章2節)
    (ヨーガとは、心の作用を止滅させることである。)
  • その時、純粋観照者たる真我は、自己本来の姿にとどまることになる(第1章3節)
    (その時、見る者は、本来の状態にとどまることになる。)

「ヨーガ」という言葉

ヨーガは、「馬にくびきをかける」という意味の動詞の語根「yuj」から派生した名詞である。つまり語源的に見ると、馬を御するように心身を制御するということを示唆しているようである。

一般的には「ヨガ」と認識されているが、サンスクリットで「O」(オー)の字は、常に長母音なので、正しくは「ヨーガ」と発音する。インド人の発音を聞くとヨゥガと言っているように聞こえる。男性の修行者はヨーギン (Yogin)、女性の修行者はヨーギニー (Yogini) と呼ばれる。ヨーギンはしばしば単数主格形でヨーギー(ヨーギ、Yogi)と書かれる。

ヨーガ歴史

明確な起源は定かではないが、インドの地を流れる二大河川ガンジスとインダスの大河の、インダス河下流域に今から5000年近く前に突如として栄え始めたのがインダス文明と呼ばれる都市国家群である。同文明の都市遺跡のモヘンジョ・ダロからは、ヨーガ行者と同じく坐法を組み瞑想する人物像を彫り込んだ小さな「はんこう(印)」や、様々なポーズをとる陶器製の小さな像などが発見されている。その人物像の頭上には、現在のヨーガ行者がよくしているように長い頭髪を団子状にして丸めて載せているので、この座像が彫られた5000年前には既にヨーガの瞑想修行を行じる人間たちがいたのではないかという意見も出ている。

ヨーガという語が見出される最も古い書物は、紀元前800年‐紀元前500年の「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』である。また、紀元前350年‐紀元前300年頃に成立したとされる『カタ・ウパニシャッド』にはヨーガの最古の説明がある。

※ウパニシャッドは、サンスクリットで書かれたヴェーダの関連書物で、一般には奥義書と訳される。

ヨーガ・スートラ

『ヨーガ・スートラ』はインド哲学の1派であるヨーガ学派の根本経典である。成立は2‐4世紀頃。パタンジャリ(インドの文法学者)によって編纂されたとされる。『スートラ』は『糸』の意味であり、糸のようにパタンジャリが説いた短い言葉を連ねたものである。ここ数十年の間、『ヨーガ・スートラ』は、ラージャ・ヨーガの実践の指導書として、心身の調和と健康の増進を目的としたヨーガ・ムーヴメントの哲学的根拠として、世界的にポピュラーな地位を占めるに至った。

『ヨーガ・スートラ』では「ヨーガとは心の働きを抑制することである」の定義から始まり、三昧に至るまでの具体的方法としての8階梯と、その背景にある思想が述べられ、次の通り4章195節から構成されている。

  • 第1章(51節)‐概要・定義など
  • 第2章(55節)‐禁戒、勧戒、座法、調気法、制感など
  • 第3章(55節)‐凝念、静慮、三昧など
  • 第4章(34節)‐補足など

このヨーガ・スートラの第2章29節には、ヨーガの八部門からなる有名なアシュタンガ・ヨーガが記されている。以下にそれら八つ(アシュ)の部門(アンガ)の名前を列挙する。 

  1. ヤーマ(禁止事項/社会次元の自己制御法)
    非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪
  2. ニヤーマ(お勧め事項/社会次元の自己制御)
    清浄、知足、努力、聖典学習、絶対者ブラーフマン信仰
  3. アーサナ(ヨーガの体位法/肉体次元の自己制御)
  4. プラーナーヤーマ(呼吸法/呼吸次元の自己制御)
  5. プラーティヤーハーラ(制感/感覚次元の自己制御)
  6. ダーラナ(精神集中法/知性次元の自己制御)
  7. ディヤーナ(禅那/静慮/知性次元の自己制御)
  8. サマーディー(三昧/記憶次元の自己制御)

人間馬車説と人間五蔵説

私たちが自分という存在を上手に制御して動かす時には、私たちが自分の心身構造を知っていなければならない。人が自動車でも飛行機でも、また他の機械でも動かそうとする時には、それらの構造をまず最初に良く理解しておくことが操縦の為の必須条件になっている。人間という精密機械を自在に動かすにはまず、その構造をしっかり理解しておく。そして私たちが学ぶ伝統的ヨーガでは、人間の心身構造を2つの仕方で説明している。

第1の説明の仕方は、10頭立ての馬車としての人間です。この10頭立ての馬車に描かれている10頭の馬とは、それぞれ5頭の馬に象徴される5つの知覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)と5つの運動器官(手/授受器官・足/移動器官・生殖器・排泄器官・発語器官)の10個の器官である。また、手綱は馬たちと御者との間での情報の授受を伝達する心理器官である意思(マナス)、そしては知性や感性の判断を下す心理器官が御者(ブッディー/理智)である。更に矢印で示すように、御者の後ろには我執(がしゅう/アハムカーラ)と心素(しんそ/チッタ)という2つの心理器官が控えて、御者(理智)の下す諸々の判断に、我執(アハムカーラ)が”自分の/自分が”という意識を結び付け、心素(チッタ)が全ての心理的残存印象(記憶)を蓄え続ける倉庫となっている。

 即ち、心素が記憶袋だということである。トラウマも潜在意識も全てこの心素(チッタ)の中に蓄えられていると、ヨーガでは4000年以上前から知られていた。オーストリアの精神科医ジグモント・フロイト(Sigmund Freud、1856-1939) が潜在意識に気づいたのは1800年代でしたし、インドに行ってヨーガの考え方を学んで夢の分析に取りかかった心理学者カール・ユング(Carl Gustav Jung、1875 – 1961)は、一時期そのフロイトの弟子であった。いずれの西洋心理学の開祖たちも、近代になって東洋の智慧から人間心理を学んだ心理学者たちであった。しかし、ヨーガの世界では既に4000年以上前から伝承されている奥義書ウパニシャッドには以下のように記されている。

「真我(アートマン)を車中の主人と知れ。身体(シャリーラ)は車輌、理智(ブッディ)は御者、意思(マナス)は手綱と知れ。諸感覚器官は馬たちであり、感覚器官の対象物が道である。真我と感覚器官と意思が一つとなったものを、賢者は享受者(ボークタ)と呼ぶ」
(カタ・ウパニシャッド第3章3~4節)

また、ヨーガ・スートラには以下のように記されています。「記憶とは、かつて経験した対象を心素(チッタ)の内にとどめることである」
(ヨーガ・スートラ第1章11節)

第2の説明の仕方は人間を5つの鞘(さや/コーシャ)に包まれた存在と考える。これは古来、人間五蔵(ごぞう/パンチャコーシャ)説と呼ばれていますが、これまた4000
年以上も前から伝承されている奥義書タイッティリーヤ・ウパニシャッドの第3章には父親ヴァルナと真理を求める息子ブリグの会話として以下の人間構造が説かれている。

ヴァルナの息子ブリグは、父のヴァルナのもとに行き「父上!私に絶対者ブラーフマン(梵)について教えてください」と言った。ヴァルナはブリグに対して・・「生きものがそこから生まれ、生きものがそれによって生き、死ぬ時にそれら生きものがその中に入いってゆくもの、それを悟れ。それが絶対者ブラーフマン(梵)である」とヴァルナは告げた。息子ブリグは(熟慮の)苦行(タパス)を行じた。(熟慮の)苦行を行じた後に「絶対者ブラーフマンとは食物(アンナ)である。なぜなら、生きものは食物から生まれるからである。生まれたものは食物によって生き、生きものは死ぬと食物の中に入るからである」と、悟った。斯くの如くに悟った後にブリグは、再び父ヴアルナのもとに行き「父上!更に私に絶対者ブラーフマンのことを教えてください」と告げた。父ヴァルナはブリグに対して「(熟慮の)苦行によって絶対者ブラーフマンを理解せよ。絶対者ブラーフマンは(熟慮の)苦行である」と告げた。ブリグは(熟慮の)苦行を行じた。(熟慮の)苦行を行じた後に「絶対者ブラーフマンは生気(息/プラーナ)である。なぜなら、生きものはまさに生気から生まれるからである。生まれたものは生気によって生き、生きものは死ぬと生気の中に入るからである」と、悟った。こうして息子ブリグは熟慮の瞑想を行じつつ、次々と人間の5藏の構造を悟り、それを父ヴァルナに告げてゆくのです。

 ブリグは「絶対者ブラーフマンは意思(マナ)である。なぜなら、生きものはまさに意思から生まれるからである。生まれたものは意思によって生き、生きものは死ぬと意思の中に入るからである」と悟った。ブリグは「絶対者ブラーフマンは相対的智慧(理智/知性/ヴィジュニャーナ)である。なぜなら、生きものはまさに相対的智慧から生まれるからである。生まれたものは理智によって生き、生きものは死ぬと理智の中に入るからである」と悟った。ブリグは「絶対者ブラーフマンは歓喜(アーナンダ)である。なぜなら、生きものは、まさに歓喜から生まれるからである。生まれたものは歓喜によって生き、生きものは死ぬと歓喜の中に入るからである」と、悟った。これがヴァルナと息子ブリグの智慧であり、この智慧は天上界にあって最高と位置づけられ、この智慧を悟る者も最高位に位置づけられる。この者は食物を所有し、食物を食べる者になる。多くの子孫や家畜を所有し、神聖なる智慧の輝きに恵まれて偉大になり、名声によっても偉大になる。
(タイッティリーヤ・ウパニシャッド第3章1~7節)

つまり、一個の人間は食物・生気・意思・理智・歓喜の五蔵(五つの鞘)の構造になっており、その最深部にはこれら五蔵を動かす動力源である真我(アートマン)が鎮座されているという人間五蔵説をこの奥義書は明らかにしている。伝統的ヨーガの世界ではヨーガ行者が自己制御法を身につけるには、これら人間馬車説(10頭立ての馬車)と人間五蔵説の両説を念頭において、自制の日々を送ることになるのですが、両説は共通の事実を解説しているに過ぎない。即ち、馬車の車体は食物鞘と生気鞘、10頭の馬たちと手綱は意思鞘、御者が理智鞘、その後ろに控える心理器官である我執と心素が歓喜鞘、そして車主が五蔵の中心に鎮座される真我(アートマン)となる。こうした人間構造を頭に入れて、自己制御の道に歩みを進めることになる。

ABOUT ME
コムギ
コムギ
冒険ブロガー
東北出身。様々なテーマのエッセンスを探求し最新情報を皆様にお届けすべく、日々奮闘中です。
趣味は渓流釣り。原木からの椎茸作りも得意です。
記事URLをコピーしました